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ヴォイス―西のはての年代記〈2〉

Voice ル・グインの最新刊、西のはての年代記Ⅱの『ヴォイス』。ゲド戦記の魔法使いのように、天より与えられた特殊なギフトを持つ人々が登場するハイ・ファンタジーのⅡ巻目である。Ⅰ巻目の『ギフト』の主人公のグライとオレックがこの物語にも絡む。この二人の成長振りも嬉しい。彼らの馬は、あのスターとブランティーで、今回はライオンのお供までいる。

今回の主人公のメマーは、侵略軍の兵士に襲われた女性を母に持つ。これだけで、何てル・グウィンなんだ!と思う。メマーは、侵略の落とし子であり、お告げの声(ヴォイス)を聞くギフトを持つ少女である。

彼女は、ゲド戦記Ⅳのテハヌーを彷彿させられる。隠されたギフトと抑圧された生活(過去)。侵略軍によって長期間監禁され暴行を受けて、膝を砕かれ腕を折られた道の長のサルター・ガルヴァは、力を使い尽くしたハイタカのようでもある。

『ヴォイス』は、侵略された都市国家に生きる少女メマーと市民たちの自由を求める物語だ。彼女は、勇敢な人になって、大きくなったら侵略者のオルド人を殺せるようにと願いながら育つ。が、ル・グウィンが復讐とは似合わない。少女メマーはどう成長するのか。テハヌーとの大きな違いは、メマーは生き生きとした活動的な少女であることだ。そして、物語の節々に、市場での買い出しや食事の用意などの人が生きる生活の細部が丁寧に描かれる。道の長の館に人々が急に集まる時に口にする食べ物は、魔法のようにただ出てくるのではなく、追加の買い出しと台所での大騒ぎの末に振る舞われるものなのだ。

ゲド戦記Ⅱでは巫女でありながら、山羊飼いと結婚して普通の暮らしを選んだテナーの生き方に通じる。ハイ・ファンタジーでありながら、市井の人々の生活をも描ル・グウィンならではである。この西のはての年代記は、ゲド戦記のⅣ巻以降につながる物語だと思う。

ア-シュラ・K.ル=グウィン /河出書房新社 /1,680円/ 9784309204789

池袋本店 山井洋子

11月 28, 2007 児童書・ファンタジー |

僕らは、ワーキング・プー

Working イタリアのワーキング・プアーな若者たちを描いたインターネット小説。タイトルの『ワーキング・プー』は、プータローとプアーを掛けているんだろうか。原題は『Generazione Mille Euro』で、千ユーロ世代=月収約十七万円世代の意味である。

しかし、ワーキング・プアーと言うと、アルバイトで生活費をやりくりするフリーターかと思いきや、主人公のクラウディオは立派なビジネスマンだ。ミラノの有名大学を卒業した27歳で、国際的な大手企業のマーケティング部に勤め、上司に代わって海外に出張して自社製品のプレゼンを成功させ、それでも非正社員なのである。正社員になる機会を狙ってはいるが、出張の成功後もその願いは砕け散る。「活躍は賞賛に値する」と成果は誉められながらも、契約に関しては「変化か継続」のどちらかだと告げられる。「変化」とは正社員かもしれないし、雇い止めかもしれない。彼は半年の短期雇用契約なのだ。望まない不安定な雇用を強いられ低収入の彼らには、貯蓄もないし将来への展望も描けない。

会社は、より安い人材求めていて、なおかつ、人材を育てる余力はない。もうまるで日本と同じである。そして、非正社員を不当に低く評価する。彼らに能力があっても、正社員にしてしまえば人件費がかさむから、まるで能力などないように扱われる。バルセロナには最初から出張しなかったかのように、目先の仕事に専念してくれ、とクラウディオのイギリス人の上司は言う。

イタリアには、日本では医大生がしているインターンの制度が普通の企業でもあり、それがまた若い労働力の使い捨てになっているという。派遣や個人事業主契約なども含め、労働市場の柔軟性と言う名の下に、企業に都合の良い、望まない雇用を強いられている人々がいる。

アントニオ・インコルバイア/アレッサンドロ・リマッサ/世界文化社/1,575円/ 9784418075133

池袋本店 山井洋子

11月 28, 2007 文芸 |

えいやっ!と飛び出すあの一瞬を 愛してる

Eiya 「ある人が、何かを本気でやりたいと思った時、その人以外の誰も、それを制止できる完璧に正当な理由など持ち得ない。そんなの、ありえない。」「穏やかな日常に幸せを感じるのと同じ強さで今、いなくなりたい。」

フラフラと、友達に会いにいくと、お土産に梨とケチャップと、この本を渡された。その時はまだ、自分の中でこんなに大きな存在になる本だとは全く予想していなかったのだけれど、自分の人生を変えるほどの出会いなんて(それは、人であったり、本であったり、言葉であったりするのだけれど)、ふとしたきっかけで巡り合うものでもあるのかな、と改めて思うタイミングでもあった。
読めば読むほど、自分の日記なんじゃないかと思うぐらい、感じることや思うことが重なる。さらに読めば読むほど、才能の豊かさ、表現力や行動力、自分との向き合い方に驚く。言葉や文章が、自分の中に染み込み、反響し、何かを形作っているのをひしひしと感じる。もし彼女と直接出会えていたならば、朝までいろんなことを話し続けるような、友達になれたのに、と思う。日常のささいなこと、未来への形のない不安。家族のことや恋愛のこと、経済から平和、教育に関することまで、彼女の思うこと、考えることが詰まったこの本を読むことで、彼女と会話をしているようで。読み終わった今では、ただ。彼女が、いないことが、こんなにも苦しく、切ない。

「次の場所にいかないといけないのだろう。ずっとは居ない、と思いながら居るのは、違うだろう。」「見返りを求めるでもなく、自分が成長するためでもなく、ただなにかをしてあげたい。人を愛するための基本だ」「恋人の前で、泣くことと歌うことと、謝ることを恥ずかしがらない、というのは私のちっぽけにして最大の哲学だ」
「知らなかった、私を取り囲む景色の外側にも世界のあることを。見るべきもの、行くべき場所が限りなくあることも。」

ずっと読んでいたいのに、読み終わる瞬間はどの本にもあって。それは当り前のことなのに、彼女の考えや紡ぐ言葉にずっとふれていたかった。あまりに単純な日常に、そうだな、としみじみしたり。悔しいこと、怒ること。面白いことに笑ったり、はからずも「死」について述べるところで涙がとまらなくなったり。出会うすべての人に読んでほしくなるぐらいの、こんな本との出会いがあるから。本を好きでよかったと思い、本屋が好きでよかった、と思う。

「前向きにならずには、強くもなれない。」

小山田咲子/海鳥社/1,680円/ 9784874156490

別府店  祐保博美

11月 7, 2007 文芸 |

悪人 

413k6b0uv7l__ss500_  仕事がら、というわけでもないかもしれないが、本を読了するとつい比較してしまう。どんな比較かというと(それがフィクションである場合に限るが)、今年に入って読んだ本の中では何番目に自分が面白かったと感じたか、という比較である。本屋大賞の選考委員であるとか、お客様のお問い合わせに備えて、というわけでもないのだが、なんとなくそう考える癖がついてしまったようだ。

福岡と佐賀と長崎の方言が頭の中で音声として形をもちつつ、ある殺人事件を中心にストーリーはすすんでいく。どうして事件は起こったのか。視点がかわり、時間がすすむごとに、登場人物たちの人間像が描かれ、題名の「悪人」という意味が何をさすのかがわからなくなっていく。いったい、何をさして「悪人」と人は判断するのか。幸せとは何か、寂しさとは何か。真面目に生きようとするだけで、なぜこんなにも苦しいのか。お互いが被害者でいられない、という言葉が重く考えさせる。

「感動作」というのではないかもしれない。しかし、「ただの事件小説」ではない。読んだ人の、状況や心境によって、響く登場人物や場面は違うはずだし、感想も違うだろう。私のなかでは、「悪人」の読後、自分の中の比較のものさしが、『「悪人」を超える本か、超えないか』、という基準になったほどの一冊である。

吉田修一/朝日新聞社/各1,890円/ 978-4022502728

別府店  祐保博美

11月 3, 2007 文芸(ミステリーブックセレクション) |